五十嵐書店と《早稲田古書店街》#14 cover art

五十嵐書店と《早稲田古書店街》#14

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まったく十八歳、十九歳の頃なんて古本屋さんに行くしかありません。それは決して稀覯書の蒐集を趣味とする粋人の遊びという訳ではなく、切実なまでに金がないからです。ガムシロップを水で薄めて飲む生活を送るよりほかありません。そんな十八歳たちにとって一冊十円で文庫本を売っているような古書店は「ここだけ資本主義が届いていない」という驚きを齎してくれるものでした。 そんな早稲田古書店街の中に於いて「五十嵐書店」だけは異彩を放ち続けております。店構えをご覧になっていただければ分かる通り、コンクリート打ちっ放しの外壁にガラス張りと瀟洒を極めた佇まい。何でしょうか。区営の「表参道っぽさを感じさせる装置」か何かとしか思えないのです。少なくとも表紙の破れた中島らものコラムとかは陳列されていないこと請け合い。 従って放送の冒頭、松重ディレクターが「番組作家が激推しの」といった触れ込みでお邪魔した五十嵐書店様ですが現実は寧ろ逆であり、十八、十九歳の切実なまでに古本を欲していた頃は緊張で足早に通り過ぎていたお店なのです。だからこそ「ずっとそこにあった東京に気づく」という番組コンセプトを敷衍、援用してこの度、取材を申し込ませて頂いた次第でありました。 実際、五十嵐書店さんこそ早稲田古書店街の中核をなす老舗書店。2代目の発案で以って現在の店構えに建て直したことは放送でもお伝えした通り。そんな五十嵐書店の先代であり創業者である五十嵐智さんが帰り際、「参考までに」と一冊の本を渡してくださいました。 本のタイトルは『五十嵐日記 古書店の原風景』(笠間書院)。そこには放送には載らなかった五十嵐さんが早稲田に店を構える前。神田神保町の修行時代、つまりは十八、十九歳の頃の前日譚が克明に記されておりました。例えば1953年、昭和28年月8月3日の日記を引用しましょう。 「毎日、夜遅くなるので本を読む時間がなく、日記をつけるので精一杯(中略)閉店後、寝床までに時間が少ないのが一番苦しい。(中略)世界は進んでいる。私は停滞している。これでは残されてしまう」 この時、五十嵐さんは十八歳。郷里山形より上京し、夜間大学への進学を考えつつも殆ど休みなく働き詰めの生活を送っておりました。冒頭、私は「まったく十八歳、十九歳の頃なんて古本屋さんに行くしかありません。」なんて書きましたが実際のところ、その古本屋さんの主人が十八歳、十九歳だった頃は、そんな時間すらなかったのです。身を粉にしてなお「私は停滞している」と言ってのける五十嵐青年の底なしの向上心を前にすれば、筆者のような人間は完全に停止した綿埃も同じ。突如襲ってきた焦燥感を解消するべく、当時購った中島らもやら町田康やらの本を引っ張り出して今より五十嵐書店に向かいましょうか。きっと買い取ってくださるでしょう。でも、それを買い取ってくれるのは十八歳ではなく、六十年の時を経た、八十八歳となった五十嵐青年。そう、世界は進んでいるのです。五十嵐青年ではなく、筆者が停滞しているのです。停滞しているのなら、せめて、記録を。 副読本:『五十嵐日記 古書店の原風景』(笠間書院) 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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