• 東風平牧師のぬちぐすいメッセージ

  • By: 東風平巌
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東風平牧師のぬちぐすいメッセージ

By: 東風平巌
  • Summary

  • おはようございます! 東風平牧師のぬちぐすいメッセージは、沖縄県那覇市にある小禄バプテスト教会の東風平巌牧師が「ほぼ」毎朝7時にお届けする5分間メッセージです。 (最近は週3~4日ペースになっています💦) あなたは人生に疲れていませんか?孤独を感じていませんか? 聖書に書かれてある言葉は、私たちを愛しておられる神さまからのラブレター。 ぜひ、聖書の言葉に耳を傾けてください。 *「ぬちぐすい」とは沖縄の言葉で「いのちの薬」という意味です。
    東風平巌
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Episodes
  • 新しくされる!
    Aug 21 2023

    コリント人への手紙第二5章17節

    「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

     

     今月初めに沖縄にやって来た台風6号によって、ベランダに置いてあった私たちの家の古い物置が壊れてしまいました。物置の中には、古いアルバムや子どもたちが小さかった頃に書いた絵やノートなどがあり、その一部が水浸しになってしまいました。大切にとっておいたものが一部修復不可能になってしまったことは大変残念でしたが、誰もケガすることなく守られたことは大変感謝なことでした。

     日本では地震や台風や豪雨による自然災害がつきものですが、先日はハワイのマウイ島で大規模な火事が発生し、カナダでは現在も山火事が起きていて懸命な消火活動が続けられています。そのような災害が起こる度に、そこの住民が大切にしてきた家や車などがなくなってしまい、私たちは心が痛みます。被災された方々が一日も早く生活を建て直し、日常を取り戻すことができるようにとお祈りいたします。 

     このようなニュースを見聞きして思うことは、私たちが手にしている物や財産はすべて一時的なものに過ぎないことです。事実として、仮に自然災害に遭わなかったとしても、形あるものは必ず消え失せてしまうのです。過去に多くの文明が興っては一時的に栄華を極め、圧倒的な政治力や軍事力で世界を席巻しましたが、すべて衰退し歴史の中に埋もれて行きました。すべてのものは古くなり、この世界からなくなってしまいます。

     しかし聖書によれば、古くならず、新しくされるものがあるというのです。それはキリストにある命です。形あるものはすべて古くなって消えていくわけですが、それは人間も同様ですね。私たちは日々年を重ね、からだの機能は徐々に低下し、死に近づいていきます。しかし、今日の御言葉には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」とあります。イエス・キリストと出会い、イエスが主であり救い主であることを心に受け入れたならば、その人は新しくされるというのです。顔かたちが変わるわけではありません。しかしその人の魂と霊はまったく作り変えられているのです。私たちの生まれながらに持っている人格は、罪によって滅びゆく運命にあります。しかし、イエスキリストが十字架で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、私たちの罪の代価をすべて支払ってくださいました。私たちはイエスを信じ受け入れることで、罪の赦しを確かなものとし、全く新しくされた魂と霊によって生きるのです。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と書かれているとおりです。この新しいいのちは永遠の命です。もはや古くなることも、消失してしまうこともなく、やがて私たちがいただく復活のからだと一つとなり永遠に続くものです。

     私たちはやがて古びてなくなってしまうものに心を奪われ、それらに大切な人生を委ねるべきではありません。それらは地上での私たちの生活を一時的に豊かにしますが、やがて消え失せるのです。何一つ天国に持って行けません。いつまでもなくなることのない、最高に価値のあるものに心を向けましょう。イエスを受け入れて全く新しいいのちをいただき、永遠に向かって歩み続けましょう。

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  • 報いを受けるための裁きとは?
    Aug 18 2023

    コリント人への手紙第二5章10節

    「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。」

     

     今月、小禄バプテスト教会の日曜礼拝では、神の裁きということについて御言葉から学んでいます。裁きという言葉はイメージ的になんとなく怖い感じがあるかもしれません。自分が裁かれるということに対して嬉しいとか、待ち遠しいとかの感情は普通持たないのではないでしょうか。しかし、聖書は創世記から黙示録に至るまで、裁きについて繰り返し語っています。あまり触れたくないテーマだからといって、真理をぼやかすというようなことがないように気をつけたいものです。

     今日の御言葉は、パウロが明確に私たちが受ける裁きについて語っている個所です。幾つかのポイントがありますので、一つ一つ見てみましょう。まず、私たちが行ったことは善であれ悪であれ、すべて裁きの対象になるということです。普通は悪いことが裁きの対象になると考えがちですが、実は良いことも裁きの対象になるのです。このことから神の裁きの一つの性格が分かります。つまり裁きというのは、私たちに対する神の評価の側面があるということです。二つ目に、報いを受けるために裁かれるということです。この報いというのは報酬とも言い換えることができます。報酬は罰則とは真逆のもので、良いことに対する評価として与えられるものです。終末における神の裁きは、私たちを懲らしめたり刑罰を与えるだけでなく、ご自身の無尽蔵の富の中から私たちに贈り物を下さる時でもあるのです。イエスはマタイの福音書25章の中で、主人が遠い町に出かけている間、預かったお金で商売をして富を増やした僕に対し、「よくやった。忠実な良い僕だ。」とその労をねぎらい、報酬を与えるというたとえ話をしました。これはまさに神の裁きについての描写なのです。3番目に、私たちが立つべき裁きは、キリストの裁きの座であるということです。裁かれる方はキリストです。最初に「私たちはみな」とあるように、一人の例外もなく全員がキリストの裁きの前に立つことになります。先ほどのマタイ25章のたとえ話で、主人が僕たち一人一人に、何をしたかを丁寧にチェックしたように、イエスは私たち一人一人が地上にいる間なしたすべてのことをチェックされるのです。

     ところで、今日の個所では私たちは「肉体においてした行いに応じて」裁かれるとあります。これは私たちが恵みにより、信仰によって救われるとするキリスト教の最も大切な教えと矛盾していると感じる人もいるかもしれません。確かに私たちは信仰によって救われるのであって、行いによって救われるのではありません。実は、今日の御言葉は、神はすべての人を裁かれると言っていますが、すべてを救われるとは言っていません。救われるか救われないかは信仰によりますが、裁きの基準には行いも関係してくるのです。そしてやがてイエスが来られるときに私たちがいただく報いは、私たちが信仰を用いてどれだけ神のために正しい行いを行ったかによって決まるのです。本当にイエスを心から信じイエスに従うことを願っているなら、それは行いに現れるはずです。イエスはそれを私たちに期待しておられます。天においてイエスと共に報いを喜ぶことができるように、今という時を用いていきましょう。

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  • 目に見えないものこそ大切に
    Aug 16 2023

    コリント人への手紙第二4章17-18節

    「私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べ物にならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」

     

     この世界には目に見えないけれど存在しているものがたくさんあります。むしろ科学的に言えば、私たちの肉眼で観察できるものは全体のごく一部に過ぎません。というのも、私たちの目が感知できる光は可視光線と呼ばれるごくわずかな範囲の波長の光だけです。それより長い波長の光や短い波長の光は、肉眼では捉えることができないのです。ですので、自分の目で見えるものしか信じられないという人がいれば、その人は宗教がどうこうという前に、科学を知らない人ということができるでしょう。目で見えるか見えないかは、この宇宙の中で起きている数多くの現象の中では、全く意味をなさない議論なのです。

     今日の御言葉は、時空を超えた視点で物事を捉えているという点で、とても科学的です。私たちはクリスチャンであるなしに関わらず、苦しみを経験します。苦しみのただ中にいる時は、その苦しみが永遠に続くかのように感じられるときがあります。あまりにも辛すぎて早く過ぎ去ってほしいと心から願います。愛なる神はもちろん私たちを苦難から解放することがおできになりますが、その苦難からの解放ということ以上に大切な真理を私たちに教えておられます。それは、私たちが経験する苦難はほんのひと時に過ぎず、やがて私たちが経験することになる神の栄光と比べると実に軽いものだということです。この苦しみはいったいいつまで続くのかと思うようなものでも、永遠に比べればほんの一瞬に過ぎないのです。これが神の視点です。

     もう一つの大切なことは、目に見えるものではなく見えないものにこそ私たちは目を留めるべきであるということです。先ほど目に見えないものがいかに多いかという話をしましたが、実際本当に大切なことの多くは目で見ることができません。聖書にはいつまでも残るものは信仰と希望と愛であると書かれていますが、この3つはすべて目に見えないものです。ところが、私たちはあまりにも目に見えるものに心を奪われ、そのようなものに無駄な時間や労力を費やしています。また自分が人の目にどう映るのかということをあまりにも気にし過ぎています。どんなにアンチエイジングを頑張ったところで、私たちの肉体は日々衰えていくだけです。私たちが本当に心を向けるべきは、目に見えないものであり、永遠なるものです。今日の御言葉に「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」とある通りです。あなたは何に人生を掛けていますか。何に最も自分のエネルギーを注いでいますか。それはやがて消え失せてしまうものですか。それとも永遠に続くものですか。

     神は私たちにイエス・キリストを通して永遠の命を与えておられます。2000年前にゴルゴタの丘の上で私たちの罪を赦すために十字架に掛かられ、死んで墓に葬られ、3日目によみがえられたこのイエスを心から信じる者は誰でも永遠の命を得ることができるのです。

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